2014年10月6日月曜日

<Be>と<Do>の違い



未知のことについても、積極的に取り組める人と、逃げ腰になって理由をつけて取り組まない人の違いは何でしょう。その背景にある「自信の違い」を生み出す「違い」はなんでしょう。

自信の違いについて言えば、実は違いなんかないのです。

不安だし、何から手をつけていいのかも分からない。どうしていいのか分からない。という点では全く変わりはないのです。

ただ積極的(アサーティブ)に取り組む人は、行動することで、遥か遠くにあったことを引き寄せてくるのです。
失敗を恐れていないわけではなく、逆に失敗を恐れるから失敗をしないように努力をします。

消極的(ノンアサーティブ)な人は、失敗を恐れて悩んでいるばかりで行動しません。本人は悩んでいることを考えていると思い込んでいますが、考えるのと、悩むのは違います。

考えても答えのでないことは行動で答えを出すしかないので、積極的(アサーティブ)に取り組む人は、行動することで、答えを見つけていきます。

「行動の違い」を生み出す「違い」が自信の違いです。禅問答になってしまいますが、自信の強さに違いはないのです。

しかし自信の質に違いがあります。<Be>と<Do>の違いです。

<Be>の自信とは、<自分の在り方>の自信です。
<Do>の自信とは、<なにができたか>つまり<成果>の自信です。

私たちは、子どもの頃から<なにができたか>で評価されてきます。
学校の成績、運動の成果など目に見える、つまり他の人が見ても分かりやすい評価基準で評価されてきます。
大人になれば、業績で評価されます。資格をとるにも採点されて合格、不合格が決まります。

つまり<Do>の自信に裏付けされた評価を自分に課している人が、自信があることには取り組めるが、未知のことには、逃げ腰になって理由をつけて取り組まない自分にしています。

<Be>つまり<在り方>を大切にしている人は、<なにができたか>で評価しません。その前提にある態度を大事にしているので、「できるまでやる」「プロセスに注目する」「決めたことは責任をとる」「いまこの瞬間に集中する」「理想と現実の差を埋める目標を選ぶ」「感情的な行動はしない」「自分と周囲の人を励ます」というような態度に自信を持っています。

このような態度は他者に委ねませんので、他者の評価を気にしません。実際、他者には分かりません。他者に分かるのは結果が業績になってからです。

しかし<Be>を大切にしている人は、自分にできることとできないことの判断がついているので主体性を発揮できないこと、つまり自分にできないことには無関心です。他者の評価もそのひとつです。そんなことに右往左往する時間があるなら、態度の高度化(レベルアップ)に励みます。

<Be><在り方>の自信は自分への自信です。ただ裸の王様にならないように、<自分>への疑いは<Do>に満足している人に比べると段違いに強いのです。狂人は自分を狂人だと思っていませんが、正常者は自分はおかしくないと疑うのと酷似しています。

この態度が「なぜ?」と聴く態度になっています。

<Do>で評価している人が「どうしたらできる」と<HOW 型>になるのに対して、<Be>を重視している人は「なぜ?」が習慣化した<WHY型>なのです。

この質問の違いが危機突破力になります。

<Be><WHY型>は、うまくいかない場合、「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」の連発で正解を探します。

<Do><HOW 型>は、「どうしたらできる」と答えを探しますが得られないと自信を喪失します。特に経験のないことには極端に弱く消極的で折れやすいのです。そのため弱さが露呈するのを嫌い<ノンアサーティブ>あるいは<アグレッシブ>になります。<ノンアサーティブ>と<アグレッシブ>は態度は真逆ですが、根本は同じです。その人間関係の構えは<自他否定><自己否定・他者肯定>です。このように自信の質が極めて限定的なのです。

<Be><WHY型>の人間関係の構えは<自他肯定>で、自分は自分、他者は他者と自他尊重が基本になっています。




外面の力はすべてと言っていいほど限定的ですが、内面の力は無限です。
外面の力、つまり外から見える力、他者が評価しやすい力は、財産、地位、教育レベル、業績、専門知識、資格など無数にありますが、期限、地域、業界などあらゆる面で限定的です。

内面の力、外から見えない力、つまり自分にしか分からない力は、態度、信念、意識などでつかみどころがありませんが、世界のどこでも通用して死ぬまで力を発揮します。

外面の力の最後は、「立派な業績を残されましたね」といった類いの言葉で評価され、外面の力の最後は、「素敵な方でしたね」といった類いの言葉で評価されます。

<Be>と<Do>の違いは次の図のようにまとめることができます。
決定的な違いは「リーダーシップの有無」になって表れます。





<リーダーシップ>の定義は人によって違います。違っていいでしょう。しかし外面的な力技で<リーダーシップ>は発揮できません。

<リーダーシップ>のあるマネジメントは効果を発揮しますが、<リーダーシップ>のないマネジメントはあり得ません。
マネジメントとは、あらゆる困難を乗り越えて目的を達成することだからです。<リーダーシップ>は困難に出会えば出会うほど、<北十字星>から逆算して進路を示す必要があります。


最初から限界があり、折れてしまいやすい<Do>の力と自信では、問題も困難もなく変化のない時には問題なくできても、困難が生じるとすぐに凹んでしまいます。

あらゆる困難を乗り越えて目的を達成するとは自ら「変化を起こすこと」だからです。


自信を精神的なものとして、無理に自信を持とうとしても自信は生まれず逆効果になります。自信には自信が生まれる根拠があります。どんなときにも自分を信頼して行動できる基礎である<Be>です。








2014年10月2日木曜日

ラポールの架け方



ラポールとは心理学用語ですが、一般にも使われるようになりました。

セラピストとクライアントの間に信頼関係を築くことを目的に、緊張感なく感情の交流ができる状態の関係を創ることですが、このような絆のある関係を周囲の人にも築いていこうというものです。
ラポールは遠くにあるものを近づけていく【アサーション Assertion】そのもの。

ラポール、アサーション、この2つの言葉を意識するだけで、目標が出来るはずです。
やってみてください。

たとえば『私は子どもが私に必要としているものを発見して、それを実現する』というように、子どもとの間でラポールを架け、アサーションなコミュニケーションをしていく。

人は互いに影響し合っているものですが、ラポールがあるとスムーズな交流が容易になります。さらにアサーションな活動を心がければ、めざす関係性の実現は容易になります。

ただなりゆきを見守っている傍観者から、待っている受け身から、自らが目標をもって動く。思考は現実になるといいますが、その通りにしていくのです。



あなたにとってのステークホルダー、自分、夫・妻・恋人、子ども、親、友人、部下、エネルギー(健康・お金)、時間、地域社会、仕事、趣味との間でラポールを意識してみましょう。そして順番に、虹を架けるように、ラポールを架けていきましょう。

ラポールを実現するのがクレドです。人は思っていてもすぐに忘れてしまいます。忘れることは便利のいいことですが、できたはずのことも忘れることでできなくしているのです。

自分の<Be>はその典型です。<Be>は重要ですが緊急ではありません。緊急なことは全部<Do>のはずです。このため<Be>は必ず後回しになります。




つまりいつでも自分のことは後回し。でも自分のことだから怒る人もいないので、問題になりません。<Be>は<Do>とリンクしなければ無視されてしまうのです。そこでステークホルダーとの約束を通じて<Do>を実現します。




ステークホルダーとの約束とは、ステークホルダーのために生きているような錯覚をするかも知れませんが、<Be>が生かされている限り、決してそうではありません。

人に使われた状態になるのは、<Be>のポジションにステークホルダーを据えた場合です。たとえば彼氏を<Be>のポジションに入れたら彼の支配下に自らを置くことになります。<Be~自分の在り方>があって、ステークホルダーと約束してそれを果たす場合、対等であり、支配されることはありません。


あなたは自分の人生のある場所から彼にラポールを架けることができるのです。








自立しているからラポールを架けられる。




ラポールとは心理学用語ですが、一般にも使われるようになりました。

セラピストとクライアントの間に信頼関係を築くことを目的に、緊張感なく感情の交流ができる状態の関係を創ることですが、このような絆のある関係を周囲の人にも築いていこうというものです。
ラポールは遠くにあるものを近づけていく【アサーション Assertion】そのもの。

ラポール、アサーション、この2つの言葉を意識するだけで、目標が出来るはずです。
やってみてください。

たとえば『私は子どもが私に必要としているものを発見して、それを実現する』というように、子どもとの間でラポールを架け、アサーションなコミュニケーションをしていく。

人は互いに影響し合っているものですが、ラポールがあるとスムーズな交流が容易になります。さらにアサーションな活動を心がければ、めざす関係性の実現は容易になります。

ただなりゆきを見守っている傍観者から、待っている受け身から、自らが目標をもって動く。思考は現実になるといいますが、その通りにしていくのです。



あなたにとってのステークホルダー、自分、夫・妻・恋人、子ども、親、友人、部下、エネルギー(健康・お金)、時間、地域社会、仕事、趣味との間でラポールを意識してみましょう。そして順番に、虹を架けるように、ラポールを架けていきましょう。

ラポールを実現するのがクレドです。人は思っていてもすぐに忘れてしまいます。忘れることは便利のいいことですが、できたはずのことも忘れることでできなくしているのです。

自分の<Be>はその典型です。<Be>は重要ですが緊急ではありません。緊急なことは全部<Do>のはずです。このため<Be>は必ず後回しになります。




つまりいつでも自分のことは後回し。でも自分のことだから怒る人もいないので、問題になりません。<Be>は<Do>とリンクしなければ無視されてしまうのです。そこでステークホルダーとの約束を通じて<Do>を実現します。




ステークホルダーとの約束とは、ステークホルダーのために生きているような錯覚をするかも知れませんが、<Be>が生かされている限り、決してそうではありません。

人に使われた状態になるのは、<Be>のポジションにステークホルダーを据えた場合です。たとえば彼氏を<Be>のポジションに入れたら彼の支配下に自らを置くことになります。<Be~自分の在り方>があって、ステークホルダーと約束してそれを果たす場合、対等であり、支配されることはありません。


あなたは自分の人生のある場所から彼にラポールを架けることができるのです。







2014年9月30日火曜日

【アサーティブ】アサーションを可能にするアサーティブ5本柱




ステークホルダーとの間で交わした約束を果たすと考えただけで重荷に感じる人がいます。彼らにとってステークホルダーは敵のような存在に思えてしまうかも知れません。

しかし本当は守護神です。なぜならステークホルダーとの関係、約束、宣誓を通じて、<BE>が<DO>として具体的に育まれ<BE>は限りなく<人そのもの>に成長するからです。

そのプロセスを支えるのがアサーティブ、アサーションです。これらに関連した言葉と意味の違いに次のよう点があります。

【アサーション Assertion】
  遠い関係のものが近づくようにする活動


【アサーティブ  Assertive】
  自他ともに大事にする表現をする


【アサーティブネス Assertiveness】
  自他ともに大事にされた実感の持てるWIN-WINな関係性







Beから始まり、関係と活動を通して成長していくプロセスは【アサーション Assertion】と言っていいでしょう。

【アサーション Assertion】を現実にするのが自他ともに大事にする表現をする【アサーティブ  Assertive】であり、それを支えているのが、次の五本柱です。





これらの柱は因果関係があり、どれひとつとして欠かせないものばかりです。



2014年9月28日日曜日

あなたのステークホルダーとはこの人たちです



ビジネスのフレームをそのまま利用して、組織を個人に置き換えると個人の場合のステークホルダーは人によって違いが生じるかも知れませんが、概ね以下のようになります。


<BE>は在り方ですが、在り方を創っているのは、愛に対する概念と、それを生み出している人間関係の構えです。コミュニケーションスキルの背景にある意識です。

自分自身は次の図で示すように一番外の環です。つまりステークホルダーとの関係を通して自分自身が創られるのです。


ステークホルダーとの関係とは、ステークホルダーになにをするかです。つまり<DO>のことです。

ステークホルダーとの間でWin-Winが実現できれば、関係は良くなり喜ばれます。喜ばせるのが最初の目的ではなく、自分の在り方<Be>をステークホルダーを通して社会で実現<DO>することで、自然にWin-Winに至るのです。

そのプロセスは分かりやすくするのがクレドです。

自分、夫・妻・恋人、子ども、親、友人、部下、エネルギー(健康・お金)、時間、地域社会、仕事、趣味との間で、具体的にどのように向き合い、なにを実現するかを約束を明文化するのが、クレドです。これこそ自分の人生のある場所になります。




これを毎日にスケジュール化することで、タイムマネジメントの必要が生じます。

そこで重圧に感じて逃げ出してしまう人が多いのが事実です。

その重圧を共有してサポートするのが、


とその先にあるマイプロジェクトです。


ステークホルダーとの約束は弱い自分を強くします。ステークホルダーを守護神にすれば人生はもっと心地良くなります。
生かされている状態になるので感謝が生まれ相互依存の関係が機能しだします。自律を発揮すれば自分の人生ドラマの主役になります。










2014年9月26日金曜日

クレドで人生が変わるワケ。




5つの講座の受講者との間で<99日間プロジェクト>を展開しているゲンキポリタンはWebサイトの「屋号」。コスモポリタンをもじっています。

コスモポリタンの意味は「ひとつの国や民族にとらわれず,全世界を自国として考え,生活する人。世界市民。国際人。」と辞書にあります。

賢明な方ならゲンキポリタンの意味はすぐに理解していただいたと思います。元気人、出会った人を元気にさせられる人。と言うような意味。願いと言っても良いでしょう。

嘆きは誰でも知っている。この世は悲哀の海だもの~♬
母が若い頃に聴いた古い歌ですが、どのような思いでこんな詩を書かれたのか想像すると、ゲンキポリタンに繋がると思っています。

自分の理想がありながら、遠く離れた気分で暮らしている。つらいですね。
なにがあってというわけでなく、ただなんとなく、気分が重くて、昨日も、今日も、それは明日も変わりそうな気がしない。

「自分は何のために生きてるのか分からない。」と思いながら、昨日も、今日も、良い習慣と思えない惰性を習慣にして暮らしている。

その習慣は繰り返すほど、強固になり、後になるほど変えることは困難になります。

女性は、白馬の王子はいないと思っていながらも、クルマを運転する程度の男なら現れて、すべてを洗いなおしてくれる一発逆転を夢見る。

男性は、こんなものではないと思いながら、成功のきっかけをつかんで、社会的なポジションをあげることを夢見ている。

その人生に一発逆転はあるのか?その一発となるマグナム砲はあるのか?

あります!

マグナム砲の役割を担うのが、この羅針盤です。






こんなもので人生が変わるのかと思うでしょう。

あなたが苦しむ原因は、真ん中の黄色い部分にピンクの環にあるものを入れてしまうからです。

ピンクの環にあるものは、ビジネスの世界ではステークホルダー(利害関係者)といい、会社の重要な人々を含む従業員全員、その家族、株主、取引先、官公庁などが入ります。ステークホルダーとどのように関わるかということが目標になります。

あなたの場合なら、ピンクの環になにが入ると思いますか?

恋人(夫、妻)、父母、祖父母、兄弟、友人、知人。
人だけではありません。職場、趣味、学習(知識)なども入ります。

ビジネスの場合と同様でどのように関わるかということが目標になります。

一番、大きな環が、あなた自身というのは、社会もステークホルダーも含めて、あなたそのものだということです。つまり全部の環と素敵に関わった後に、「あなた」という人ができあがるのです。どういう自分を創るかが目標になります。

この真ん中には、それら全部に対する自分の在り方が入ります。在り方が入るので、一番外の環である自分に繋がって、思うような自分が出来上がります。

もし、この環に恋人(夫、妻)を入れてしまうと、恋人(夫、妻)に振り回され、自分が創れなくなります。あるいはこの環に仕事を入れてしまうと仕事に振り回され、やはり自分が創れなくなります。人によってはアルコールを入れます。そんなものを入れると人生は火のクルマになります。





毒と書いていますが、<BE>以外のものは全部毒になります。親孝行でも、子育てでも、どれほどの善行も、ここに入れると自分自身が壊れてしまいます。

仕事中毒になってガンバって成功しても幸福になれないのは、在り方を軽視した結果、最終的に自分がいないからです。

幸福な結婚を夢見て、実現したとしても、波風のたたない家庭はありません。家庭は社会の一部なので、他の影響を受けずいることは不可能です。

夫婦仲が良くても互いの家の事情も絡んできます。働き先の事情も絡んできます。年金ひとつみても昭和の高度成長期といまでは事情も変わっています。

人は誰でも相互依存(チームワーク)の関係にあります。だからこそ自立が必要で共依存してしまうと相互依存ができなくなります。すると相乗効果が発揮できなくなります。人間の身体と同じですね。

この仕組みのはじまりが<BE>、在り方なのです。<BE>を入れるので、自分の人生がコントロールできます。その結果自分自身が一番外側にできます。

この一番外側にできた自分こそが、人生から「あなたは人生に何をしてくれるのか」と問われた自分の回答なのです。つまり「自分は何のために生きているのか」という問いに対する答えです。



<BE>は憲法と同じ役割を担います。<BE>に準じてスタークホルダーとの関係性が明確になります。つまり法律です。自分が法律を守らないと社会との関係性が脆弱で悪くなります。

こんなもので人生が変わるのかと思うでしょう。
でも変わります。因果関係の結果、良くも悪くも変わります。それは<BE>から生まれる習慣次第なのです。

<BE>と習慣が一致していれば苦しみはほとんどありません。一致していないので生きづらいのです。

一致していない場合、ほとんどは、<BE>の代わりにステークホルダーが入っています。


99日間プロジェクトは、<BE>の代わりに入ってしまったステークホルダーを追い出す作業なのです。



2014年9月24日水曜日

クレドで業績が改善できるワケ






クレド導入の目的は、ステークホルダーとWin-Winの関係を実現することです。
そのエンジンはひとりひとりの力です。

つまり壊れたエンジンではクレドは機能しません。うまくいかない組織はエンジンが壊れています。
「企業は人なり」といいますが。まさしく人の問題を解決するのがクレドです。

組織の場合、エンジンの数も増えますが、もとになるエンジンが重要です。リーダーシップの問題が潜在しています。

クレドではリーダーシップを正し、健全に機能するようにします。その結果、自律型マネジメントが機能する組織に作りなおします。つまりひとり、ひとりに正しいリーダーシップが身につくようにするのです。

その結果、組織力は飛躍的に強化され、相乗効果が働き、モチベーションの高い風土が形成されます。相互依存の長所を使いこなせた結果なのです。
これは、とても重要な大切なことで、リーダーシップの機能していない組織では、この真逆の現象が機能しています。

そこには個人の依存がひしめていますが、依存された組織は死に体になるのが必然なので、共倒れになります。「共依存」の状態です。結局、考え方に欠陥があり、人間力の問題に帰結しますが、それで済まないのが組織です。

組織には社会的な責任がありますが、それを果たせず崩壊します。業績はその状態を把握するバロメーターにすぎませんが、バロメーターに終始で一喜一憂する奇異な現象に陥ってしまっています。クレドはステークホルダーの力を借りて本来の目的を呼び覚まします。

これは社会とともに暮らす家庭を機能させることと一致しています。



リーダーシップは木みたいなものです。放っておいても、やがてどんどん成長します。
ひとりひとりが成長すれば、美しい木が集まった森になるのです。

なんと素敵だと思いませんか!












▲ 99日間プロジェクト、マイ・プロジェクトに現在参加中の方々、
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2014年9月22日月曜日

さあ、マイ・クレドを始めよう。









もし、環の中心に<在り方>以外のものを置くとしたら、なにを置くでしょう?

お金、所有物、夫、妻、恋人、家族、親、仕事、友人、自分自身、飲食、遊興、宗教、部下 。。。。

<在り方>以外のものを置けば、それぞれに問題が生じます。俯瞰できなくなるじゃらです。
<在り方>を主体にしない場合、真の自立ができなくなるので、相互依存の関係は成立しなくなり、主体性を失います。

主体性を失えば羅針盤を持たない船と同じで、嵐が来ればたちまち混乱するでしょう。それでなくても、ほとんどの人々は子育てに必要な十分な知識と経験のない状態の親に育てられたために、間違った航海図を持ったままです。そのため人生は荒波を往くが如くになってしまうのです。



北斗七星を示せるリーダーシップが機能しているチームには、相互依存力を利用して所属する人々をこの危機から救う力があります。目標を設定して、達成のために自律することを教え、相乗効果を発揮して、チームも個人も自立に導きます。

先に田中将大投手のことを書きました。彼は苫小牧高等学校野球部で一流の投手になることを学んだのではなく、リーダーシップを学んだのです。投球術も自律することも、その付属品に過ぎません。






楽天が初優勝をして監督が胴上げで宙に舞った後に、散らばった帽子を自ら率先して黙々と集めていたのは、リーダーシップ<在り方>から生まれた信念、つまり価値観によるアサーティブな行為です。

説明すると大袈裟になりますが、帽子は仲間の象徴なのです。彼はそんなふうに意識しているわけではありませんが、それこそが育って来た環境、教え、風土から学び取った<在り方>つまり彼そのものなのです。だから簡単に真似できないのです。真似は自分の在り方でないものを意識的に行うことだからです。

もう一度言います。在り方の代わりに他のものを置けば、こうはならないのです。

企業はみんな競争しています。競争しなくていい企業はほとんどないでしょう。必然で個人も競争社会で生きる事になります。いくら学校が競争は良くないと言っても、現実社会は競争の日々なのです。問題があるとすれば、競争に向かう態度、行動なのです。

<在り方>を教えずに、競争は良くないというのは子どもを混乱させるだけです。混乱に気づけば修正の道を探せますが、気づかないと修正の可能性さえ閉じてしまったまま能力の限界になります。

苫小牧高等学校野球部員に「質問はありませんか?」と問いかけると全員が挙手するのは、<なにをするか>よりも<在り方>の大事さを身体で覚えさせようとしているからです。

人間の行動にはみんな理由があります。同じ事をしても、うまくいくのも、いかないのにも、理由があります。同じ事に対して、あの人とこの人の行動に違いがあるのも理由があります。

結果は行動の違いでしかありませんから、結果を変えるには行動を変えるしかありません。結果の違いには行動の違いが’あります。結果の事例を集めて、行動の違いを集めれば、原理原則が見えてきます。

原理原則が分かっていたら予測ができます。予測こそがリーダーの重要な仕事です。リーダーはマネジャーとは違います。リーダーシップがなくてもマネジャーはできますが、リーダーシップのないリーダーはできません。

ここまで言ってもリーダーシップがなにか分からない人はたくさんいると思いますが、がんばってくださいとしか言いようがありません。

家庭で考えるなら、リーダーが夫で妻がマネジャーが一般的です。しかし夫にリーダーシップがないのなら、妻がリーダーになってもかまいません。チームは役割分担で機能させるチームワークによるものだからです。

夫婦両方になければ、両方がリーダーシップを学んで自分のものにしてください。リーダーシップとは仕切るスキルではありません。<在り方>なので、ふたりが同じ在り方を共有して、どちらかがマネジメントすればいいのです。

たとえば「新撰組」がそうです。実際は分かりませんが、小説、ドラマで見る「新撰組」は、近藤勇と土方歳三がリーダーシップを共有し、マネジメントは土方歳三が行った印象があります。このバランスに近藤勇の力量を感じます。言葉尻を捕まえてバランスが大事だと思わないでください。バランスをとることが重要なのではありません。<在り方>を貫くことが重要なのです。

中小企業での混乱は、リーダーシップのないリーダーがマネジメントすることで起る場合が多く見受けられます。つまり<在り方>そっちのけで利益重視に走ってしまうのです。お家の事情は分かりますが、その原因はお家の事情にあるのではなく、<在り方>のないこと、それに気づかないことからお家の事情が生まれてしまうのです。PDCAが難しくなる理由もそこにあります。

マネジメントは、家族の目的、目標を達成するために行います。
そこでステークホルダーとの関係が重要になり、ステークホルダーとの目標を達成することで、家族それぞれの目標が達成できるように、目標を策定します。その目標を達成するための行動基準がクレドになります。クレドにする理由は行動を習慣化するためです。


では、ステークホルダーを洗い出してみましょう。あなたの【マイ・クレド】の始まりです。






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2014年9月21日日曜日

リーダーシップのかたち





スコットランドにある遺跡、巨大な環状列石(ストーンサークル)の通称<ロングメグと娘たち>。平坦な野原にあり、環が大きいので、環の印象が強くありませんが、まぎれもなくストーンサークルの形状をなしていて遺跡として観光名物にもなっています。

平均10屯、最重量は28屯もある花岡岩の巨石の環の10メートルほど外側にロングメグと呼ばれる背の高い人間の顔のような巨石が建っています。

ロングメグと呼ばれている巨石は高さは3.6メートル、石の中央に旧石器時代の物と思われる紋様が刻み込まれていて、娘達のような花岡岩ではなく色も違います。一連のストーンサークルが人間の手によるものだと想像がつきます。

学者たちが様々に研究を重ねていますが、祭壇なのか目的も意味も未だにミステリーだそうですです。





巨石の数が多いので、これが家族なのか、部族なのか、分かりませんが家族も部族も共同体です。長と思われるロングメグが環の内側の中央にあってもおかしくないのですが、環の外にあることに、とても興味深いものがあります。

「石を探し求める旅」(M・スコット・ペット著)では、<ロングメグと娘たち>に関連して親子関係について語られていて共感する点があります。自立した子どもは親に興味を持ってほしいと思いながら、むやみに愛してほしくはない。親は子を思い、どれだけいたわり尽くしても、その現実を受け入れるしかないと言うのです。著者は自身の親子関係と関連づけ、ロングメグを親に見立てているのです。

それもこれもロングメグがストーンサークルの外側にあることです。

「石を探し求める旅」の著者は自立した子どもとの関係で語っていますが、自律できる組織を組織図にすると同じような状態になります。

<ロングメグと娘たち>と同じくリーダーは環の外側に立ち、環の中央には、目に見えないリーダーシップが入ります。リーダーシップとは経営理念とも呼ばれたりします。<在り方>です。

自立した子どもは親に興味を持ってほしいと思いながら、むやみに愛してほしくはない。これは子どもが責任を引き受けて生きようとしたときの必然です。親は寂しく思いますが、その感情は子にとって障害以外のなにものでもありません。親は邪魔しないように後方から見つめているしかないのです。不要な手助けは能力の値引きにしかなりません。

では<興味を持ってほしい>とはどういうことでしょう?何に興味を持てばいいのでしょう?
そこに親子の共有、共感が潜んでいます。目に見えない<絆>がそこにあります。

自立した子は家族のリーダーになる必要があり、リーダーシップを必要とします。しかしリーダーシップを身につけていてもいなくてもリーダーになります。もしリーダーシップを身につけていなければ幸せを引き寄せる力も弱まります。

そうすると人間の複雑なことが多々起りますが、子どもはおかまいなしに人生と向き合わなければなりません。親がしてやれることは、成人するまでにリーダーシップを教え込み、生涯目に見えないリーダーシップを羅針盤にして生きる習慣を身につけさせることです。それが終われば環の外、つまり境界の外から見ていてやることなのです。

<興味を持ってほしい>には個人差があります。人生の責任を積極的に引き受けたいと思う子から、責任から逃げ続ける子までいろいろです。しかしどんなレベルにいても自尊心がある限り、自分の代わりに人生をやってくれとは思っていても言えないものです。


思っていても言えないところに虚実入り乱れる混乱が生じ羅針盤を保つ事はできなくなります。やり直せる態勢ができるまで、リーダーシップなきリーダーを演じるしかなくなります。結果として共同体は機能しなくなります。

原因はリーダーシップを羅針盤にして生きる習慣を身につけさせることに失敗したからです。対策はリーダーシップを羅針盤にして生きる習慣を身につけることです。

その手法がクレドです。しかしクレドはテクニックではありません。手法は核心ではありません。社会を含むステークホルダーとの関係と約束によってリーダーシップを再生することです。

同じことはチーム、共同体であれば、会社でも起っています。政治でも起っています。狂ったリーダーシップの最たるものはヒトラーとドイツで学べます。近くは民主党と日本でも学べます。優れたリーダーシップは探せばいくらでも見つかります。

探すのは「WHY ?(なぜ?)」と思うことから始まります。リーダーシップの始まりは「WHY ?(なぜ?)」です。





巨大な環状列石(ストーンサークル)の通称<ロングメグと娘たち>の中央には目に見えない「WHY ?(なぜ?)」が置かれているとイメージしてみてください。

そして中央に置かれた目に見えない「WHY ?(なぜ?)」から周囲を見渡すと、そこにはステークホルダーが並んでいて、その環の外に巨大な背の高い石、つまり社会が建っています。


<ロングメグと娘たち>にはリーダーシップ(羅針盤)から発信された絆が見える気がします。




現ヤンキースの田中将大投手を育てた駒澤大学附属苫小牧高等学校野球部の選手たちは、どのような機会でも「質問ありますか?」と聞かれると全員が挙手するそうです。

当時、中学生の田中 将大投手が見学に訪問、即断で関西から野球留学を決めた苫小牧高等学校野球部にはなぜ?」を尊ぶ風土が類い稀なリーダーシップから育まれたことは間違いのない事実なのです。

田中投手は「この風土で自分を育てて欲しい」と自ら求めたのです。自律→相互依存→自立→相乗効果→リーダーシップが描く幸福な成功の見本のような話です。